ノマサラ

平成最後の日なので平成の30年を振り返ってみた

とうとう平成最後の日になりました。30年間あっという間のような長かったような…。節目の日なので平成をざっくり振り返ってみました。自分の振り返りなので忘備録を兼ねて書き綴ってみます。

昭和天皇が崩御し平成が始まった1989年は数え年で17歳(今後の表記はすべて数え年)。何を血迷ったか男子校に入ってしまいドラマのような青春時代を送ることなく卒業。ある意味暗黒時代を過ごしました。

一年浪人し、平成4年(1992年)に近畿大学へ。第1志望ではありませんでしたが校風が自分に合っていて四年間楽しく過ごせました。最近はホリエモンや西野亮廣氏の入学式のスピーチが話題になったり、近大マグロが有名だったり、日本一の受験者数を誇ったりといい方向へ向かっており、この大学に入って良かったと思っています。特に最後の一年は情報管理系のゼミに入り、DOS/VからWindows95への移行期に立ち会い、コンピューターに詳しくなり今の礎を作れました。

大学時代のアルバイトは大学のパソコンを使う授業のアシスタントをしており相当稼げました。扶養の範囲内だっため税金を払う必要がなく手取りそのまま貰えたので結構貯金できました。生徒の女の子たちと仲良くなり、当時の彼女を含めて一週間に8人の女の子とデートしたこともあります。第1回目のモテ期がここ。

一方、就職活動はバブルが弾けたことにより超就職氷河期で超絶困難を極めました。エントリーシートのはがきを出しても戻ってくるのは1割以下。会社によっては面接前の試験が共通一次並の難しさで全く歯が立たず。しかしながら、当時から運だけは良かったので、今の会社に内定をもらうことができました。この時代に一部上場企業に就職できた人はおそらく数%いないのではないかと思われます。

平成8年(1996年)に某百貨店に入社。3年は何があっても辞めない決心で仕事をしましたが思いの外楽しく過ごせて今に至ります。その間、店舗閉鎖や他の百貨店との合併など色んなことがありました。今の会社の全てに満足しているわけではありませんが、平日休みとたまの土日休みというのは自分にとても合っていて、このライフスタイルを味わうと土日休みで働くのは無理っぽい。

女性が多い職場ということもあり、そっち方面では楽しく過ごせました。平成11年(1999年)、28歳のときに第2回のモテ期が来て、同時に数人から告白されるという夢のような状況が発生。ただし、それ以来、同じようなことは起こっていないので、まさにこれがモテ期というやつでしょう。

平成15年(2003年)にとある女性と出会い、平成16年(2004年)の4月1日に京都の円山公園の桜の木の下でプロポーズ。

 

平成17年(2005年)5月5日に結婚。ワタクシにはもったいないような素晴らしい伴侶を得ることができ、神様に感謝しかありません。生成19年(2007年)には長女が誕生、三年後の平成22年(2010年)には次女が誕生と子供にも恵まれ、本当に幸せそのもの。

 

もちろん、子育ては順風満帆とはいかずたいへんなこともありましたが、何事にも代えがたい経験ができて本当にありがたいことこの上なし。長女が小学6年、次女が小学3年と大きくなりましたが、未だにおとうさんラブでいてくれるので嬉しい限り。毎晩、ご飯を食べながら大笑いして過ごせるのは幸せそのもの。

 

プライベートは概ね良いことばかりでツイてました。一番は何と言っても家族を持てたことでしょう。30歳の時は結婚願望ゼロだったのですが、妻と出会ってガラッと変わりました。いやはや、この出会いがなかったらと思うと恐ろしくて夜も眠れません(笑)

一方、日本の経済は負けっぱなしの30年間だったと思います。モノづくり大国は見る影も無いほど落ちぶれ、スマホをはじめ、勝てる分野がほとんどなくなりました。ほとんどの企業では内部留保を貯めて給与は上がらず税金だけが上がっていくばかり。しかも、その税金は無駄遣いとしか思えないような使い方をされており情けないやら悔しいやら。

先日、15年ぶりに台湾へ行きましたが、レストランなどでの食事の価格は日本と同じかむしろ高いぐらい。以前訪れた時は日本よりかなり安かった記憶があるので、15年で日本は貧乏国家に成り下がったことを身をもって知りました。海外から観光客が押し寄せているのも、日本が物価の高い先進国でなくなり、二流国家になってしまったから。もちろん、LCCができたという要因もあるかもしれませんが、一番の理由は他国に比べて物価が全く上がっておらず相対的に安くなったということでしょう。

少子化対策はワタクシたち世代の団塊Jrが子供を産める年齢のうちに金銭的支援や保育施設の充実などの手を打たなければならなかったのに、何もせず傍観しているうちに終わってしまい、もう手遅れ。今後、多少出生率があがったとしても分母の人数が少ないので人口は絶対増えません。しかも緩やかに減るのではなく急激に減っていきます。まだ世界中のどの国も経験したことのない過酷な人口減少局面が待っています。

 

娘たちが社会人になり、今のワタクシの年齢になる頃には想像したくないほど苦難の道が待ち受けているような気がします。もしかしたらAIとロボットのおかげでベーシックインカム制度が導入され好きなことをして生きていけるようになっているかもしれませんが、それは日本ではなく他の国のような気がします。

明日から新元号の令和が始まりますが、心機一転、前向き思考で今まで以上に子どもたちと楽しみながら日々過ごしていきます。そのためには勤めている会社だけに身を委ねるだけでなく、自分自身でも稼げるように準備しておかなくてはなりません。そのうちどの企業でも複業(副業)が当たり前になる時代がやってきますので、今のうちから何をするか考えておくことが大切。その時が来たら跳べるように用意しておきます。

このブログもそのひとつ。これからは好きなことをネットに繋いで優れたアイデアがあれば生きていけるように間違いなくなります。そういう意味ではワクワクする時代がやってきます。令和が何年続くかわかりませんが、振り返ったときにいい時代だったと思えるように楽しく生きていきます!

ほな!おおきに!

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