久しぶりに青空文庫の「走れメロス」を読んだらめっちゃ面白かった!やはり秀作といわれる古典文学は素晴らしい!







最近、スキマ時間に青空文庫の作品をサッと読んでいます。KindleホワイトペーパーやiPadなどのKindleアプリで読めます。その他、テキストデータにもなっているのでメールなどでも読むことができます。

先日、久しぶりに太宰治の「走れメロス」を読んでみました。おそらく中学生ぐらいのときに読んだとは思うのですが、もう全く記憶に残っておらずフレッシュな状態で読むことができました。


いやはや、めちゃ面白い。物語の展開もさることながら、道徳やら哲学やら諸々絡み合っており、古典の名作はやはり素晴らしいと改めて見直しています。それ以来、面白そうな作品を探して読んでいますが、江戸川乱歩の怪人二十面相の一連の作品や、芥川龍之介、夏目漱石らの素晴らしい作品がたくさんあります。

その中でも芥川龍之介の「桃太郎」は秀逸。桃太郎視点だけでなく鬼の視点でも描かれており、正義とは何かを考えさせられます。立場が違えば正義は悪にもなるということがこの作品を読むとよくわかります。10分ほどで読めますので、すぐ読めるよう貼っておきます。

芥川龍之介 桃太郎

むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃ももの木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地だいちの底の黄泉よみの国にさえ及んでいた。何でも天地開闢かいびゃくの頃ころおい、伊弉諾いざなぎの尊みことは黄最津平阪よもつひらさかに八やっつの雷いかずちを却しりぞけるため、桃の実みを礫つぶてに打ったという、――その神代かみよの桃の実はこの木の枝になっていたのである。
この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅しんくの衣蓋きぬがさに黄金おうごんの流蘇ふさを垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実は核さねのあるところに美しい赤児あかごを一人ずつ、おのずから孕はらんでいたことである。
むかし、むかし、大むかし、この木は山谷やまたにを掩おおった枝に、累々るいるいと実を綴つづったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉やたがらすになり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つ啄ついばみ落した。実は雲霧くもきりの立ち昇のぼる中に遥はるか下の谷川へ落ちた。谷川は勿論もちろん峯々の間に白い水煙みずけぶりをなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
この赤児あかごを孕はらんだ実は深い山の奥を離れた後のち、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆ばあさんが一人、日本中にほんじゅうの子供の知っている通り、柴刈しばかりに行ったお爺じいさんの着物か何かを洗っていたのである。……

桃から生れた桃太郎ももたろうは鬼おにが島しまの征伐せいばつを思い立った。思い立った訣わけはなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白わんぱくものに愛想あいそをつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗はたとか太刀たちとか陣羽織じんばおりとか、出陣の支度したくに入用にゅうようのものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧ひょうろうには、これも桃太郎の註文ちゅうもん通り、黍団子きびだんごさえこしらえてやったのである。
桃太郎は意気揚々ようようと鬼が島征伐の途とに上のぼった。すると大きい野良犬のらいぬが一匹、饑うえた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一にっぽんいちの黍団子だ。」
桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪あやしかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴ともしましょう。」
桃太郎は咄嗟とっさに算盤そろばんを取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
犬はしばらく強情ごうじょうに、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回てっかいしない。こうなればあらゆる商売のように、所詮しょせん持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息たんそくしながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴ともをすることになった。
桃太郎はその後のち犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食えじきに、猿さるや雉きじを家来けらいにした。しかし彼等は残念ながら、あまり仲なかの好いい間がらではない。丈夫な牙きばを持った犬は意気地いくじのない猿を莫迦ばかにする。黍団子の勘定かんじょうに素早すばやい猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍にぶい犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
その上猿は腹が張ると、たちまち不服を唱となえ出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬は吠ほえたけりながら、いきなり猿を噛かみ殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿は蟹かにの仇打あだうちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心とくしんさせたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇おうぎを使い使いわざと冷かにいい放した。
「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物たからものは一つも分けてやらないぞ。」
欲の深い猿は円まるい眼めをした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出うちでの小槌こづちという宝物さえある。」
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣わけですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途みちを急いだ。

鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣わけではない。実は椰子やしの聳そびえたり、極楽鳥ごくらくちょうの囀さえずったりする、美しい天然てんねんの楽土らくどだった。こういう楽土に生せいを享うけた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽きょうらく的に出来上った種族らしい。瘤こぶ取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師いっすんぼうし[#ルビの「いっすんぼうし」は底本では「いっすんぽうし」]の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣ものもうでの姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山おおえやまの酒顛童子しゅてんどうじや羅生門らしょうもんの茨木童子いばらぎどうじは稀代きだいの悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路すざくおおじを愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露あらわしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋いわやに酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人にょにんを奪って行ったというのは――真偽しんぎはしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光らいこうや四天王してんのうはいずれも多少気違いじみた女性崇拝家すうはいかではなかったであろうか?
鬼は熱帯的風景の中うちに琴ことを弾ひいたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗すこぶる安穏あんのんに暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機はたを織ったり、酒を醸かもしたり、蘭らんの花束を拵こしらえたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙きばの脱ぬけた鬼の母はいつも孫の守もりをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯いたずらをすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角つのの生はえない、生白なまじろい顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛なまりの粉こをなすっているのだよ。それだけならばまだ好いいのだがね。男でも女でも同じように、※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)うそはいうし、欲は深いし、焼餅やきもちは焼くし、己惚うぬぼれは強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒どろぼうはするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」

桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒かなぼうを忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々ていていと聳そびえた椰子やしの間を右往左往うおうざおうに逃げ惑まどった。
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
桃太郎は桃の旗はたを片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉いぬさるきじの三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好いい家来けらいではなかったかも知れない。が、饑うえた動物ほど、忠勇無双むそうの兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛ひとかみに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴くちばしに鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺しめころす前に、必ず凌辱りょうじょくを恣ほしいままにした。……
あらゆる罪悪の行われた後のち、とうとう鬼の酋長しゅうちょうは、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参こうさんした。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日きのうのように、極楽鳥ごくらくちょうの囀さえずる楽土ではない。椰子やしの林は至るところに鬼の死骸しがいを撒まき散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来けらいを従えたまま、平蜘蛛ひらぐものようになった鬼の酋長へ厳おごそかにこういい渡した。
「では格別の憐愍れんびんにより、貴様きさまたちの命は赦ゆるしてやる。その代りに鬼が島の宝物たからものは一つも残らず献上けんじょうするのだぞ。」
「はい、献上致します。」
「なおそのほかに貴様の子供を人質ひとじちのためにさし出すのだぞ。」
「それも承知致しました。」
鬼の酋長はもう一度額ひたいを土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼ぶれいでも致したため、御征伐ごせいばつを受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点がてんが参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明あかし下さる訣わけには参りますまいか?」
桃太郎は悠然ゆうぜんと頷うなずいた。
「日本一にっぽんいち[#ルビの「にっぽんいち」は底本では「にっぼんいち」]の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱かかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三さんかたをお召し抱えなすったのはどういう訣わけでございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子きびだんごをやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後うしろへ飛び下さがると、いよいよまた丁寧ていねいにお時儀じぎをした。

日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々とくとくと故郷へ凱旋がいせんした。――これだけはもう日本中にほんじゅうの子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣わけではない。鬼の子供は一人前いちにんまえになると番人の雉を噛かみ殺した上、たちまち鬼が島へ逐電ちくでんした。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形やかたへ火をつけたり、桃太郎の寝首ねくびをかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂うわさである。桃太郎はこういう重かさね重がさねの不幸に嘆息たんそくを洩もらさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念しゅうねんの深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩だいおんさえ忘れるとは怪けしからぬ奴等でございます。」
犬も桃太郎の渋面じゅうめんを見ると、口惜くやしそうにいつも唸うなったものである。
その間も寂しい鬼が島の磯いそには、美しい熱帯の月明つきあかりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子やしの実に爆弾を仕こんでいた。優やさしい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ちゃわんほどの目の玉を赫かがやかせながら。……

人間の知らない山の奥に雲霧くもきりを破った桃の木は今日こんにちもなお昔のように、累々るいるいと無数の実みをつけている。勿論桃太郎を孕はらんでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉やたがらすは今度はいつこの木の梢こずえへもう一度姿を露あらわすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……
(大正十三年六月)

 

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iPhoneでKindleを音声で読み上げる機能を使い始めたら読書がより一層捗っている件


ほな!おおきに!