先日、サイエンスリーディングのセッションを受けてきました。
そのときの様子はこちらのブログで。
セッションの最後に「竹生島を訪れてみてください」と言われたので、早速足を運んできました。
竹生島へは今津航路・長浜航路・びわ湖横断航路の3つの航路から行くことができますが、名古屋からは長浜航路が一番近くて便利なので、今回はここから乗船しました。
料金は大人3,200円、学生2,600円、小学生1,600円(すべて税込)。
3航路の中では一番距離があるので、その分料金も若干高くなっています。
支払いはクレジットカードなどに対応しており、キャッシュレスで支払いができます。
長浜港からは9時発をはじめ1日5便運行されており、今回は10時10分発の船で竹生島へ。
乗船時間は約30分。
海と違って湖は波がないので大きく揺れることもなく快適。
帰りの時間は12時5分発なので滞在時間は85分となります。
まずは広場から商店街を抜けて拝観チケットを600円で購入。こちらは自販機で現金のみ。
弁財天堂、西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所の宝厳寺も島の上にあり、急な階段を登る必要があります。
ある程度の健脚でないと、しんどいかもしれません。
宝厳寺のいわれ(公式サイトより)
すべては、天照皇大神のお告げから
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。
すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まり。
行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)をご本尊として本堂に安置。
翌年には観音堂建立を発案。
後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置。
それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。
当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。
慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。
まずは龍神の手水舎で身体を清めてから弁財天堂へ。
横に納経所があり、朱印帳を書いていただきました。
「大弁才天」と「西国三十三所音霊場第三十番札所」の二種類の朱印を書いてもらいました。
達筆で、とっても勢いがあって、めちゃいい感じ。
先日、太宰府天満宮の「岩座」で購入した朱印帳をデビューさせました。
その後は、龍善寺、三重塔、宝厳寺唐門、船廊下、白巳大神、竜神拝所などをまわりました。
GoProで島内を撮影するため、もう一周、急な階段を登ってまわり、いい運動になりました。
そして11時55分に港に戻ってきました。
空を見上げていから、鷹か鳶かは定かではありませんが、鳥がたくさん飛んでおり、そのうち一匹が、間近まで来てくれました。
まるで、お見送りの挨拶に来てくれたかのようでした。
竹生島はとても清々しく、気持ちのいい場所ではありましたが、何か感じたり、天からお告げが来るようなこともなく島を後にしました。
予定通り、12時5分の船に乗り12時35分に長浜港に無事到着。
その後、先日オンラインサロンで知り合った方がたまたま滋賀県在住だったので、長浜駅で合流して、住茂登で3人で楽しく食事をしました。
一人の方は鮒ずし初挑戦でしたが、ここの鮒ずしは食べやすく、めちゃウマ。
久しぶりに鮒ずしのお茶漬けをいただきました。やはり最高!
注文した琵琶湖の幸御膳、鮒ずしはめっちゃ美味しかったものの、ちょっと高いかな…。
建物の雰囲気と貴重な食材、丁寧な接客を鑑みれば適切な料金だと思いますが、ワタクシとしては、ちょっと贅沢感が否めませんので、唸る名店紹介には載せません。
そして、今回お会いした女性にフラクタル心理学の本をいただきました。
まだ、読んでいませんが、最近、コミュニケーションやこころについての情報が、どんどん入ってきます。
今、きっと必要な情報なのでしょうね。
竹生島へ行くようにとのお告げがありましたが、現時点ではそれが何だったのかは、まだわかっていません。
ただし、一冊本をいただいたので、それを手に入れるために行ったのか…、はたまた、しばらく時が経てば何か大きな出来事がやってくるのか…。
何にせよ、人生、めっちゃ楽しくなってきました。
これからも、ご機嫌良く生きて、アンテナをしっかり立てて、フットワーク軽く動いていきます。
何か面白いことがあれば、ぜひお誘いください!